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福岡地方裁判所 昭和50年(行ウ)28号 判決

原告

岸裕三

右訴訟代理人弁護士

林健一郎

馬奈木昭雄

被告

福岡県教育委員会

右代表者委員長

波多野一治

右訴訟代理人弁護士

国府敏男

石原輝

平井二郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和五〇年七月二一日付でした免職の分限処分を取り消す。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

原告は、昭和五〇年七月当時、福岡県立久留米高等学校(以下「久留米高校」という。)に勤務する地方公務員たる教諭で、福岡県高等学校教職員組合(以下「高教組」という。)に属し、同組合久留米高等学校分会(以下「分会」という。)会員の地位にあった。

被告は、福岡県下の教育行政を所管する教育行政機関で原告の任命権者である。

2  本件処分

被告は、昭和五〇年七月二一日付で原告を分限免職処分(以下「本件処分」という。)に付し、同日ころその旨を原告に告知した。

3  本件処分の違法

しかしながら、本件処分は違法であるからその取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1のうち、原告が高教組に所属し、分会会員であることは知らない。その余の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3  同3は争う。

《以下事実略》

理由

一  請求の原因1(当事者)及び同2(本件処分)の事実のうち、原告が高教組に所属し、分会員であることを除くその余の事実は、当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果によれば、原告が高教組に所属する分会員であることを認めることができる。

二  そこで、以下、原告に対する本件処分理由の有無(抗弁)について判断する。

1  本件に至る経緯及びその背景について

(証拠略)を総合すれば、次の事実を認めることができ、(人証判断略)、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(一)  久留米高校においては、昭和四一年二月に校務運営規定が改正され、その結果、職員全員で構成する職員会議が同校の校務運営全般に関する最高議決機関である旨(三条)並びに総務、教務及び生徒各部の部長及び副部長は全教育職員の選挙によって決定する旨(二四条)がそれぞれ明定されるに至り(但し、後者の役職については右改正前から同趣旨の規定が置かれていた。)、その後は各部の部長及び副部長を右規定に従って選挙により選出した上、校長がこれを任命する形式がとられ、また、職員会議の議長は、全職員が輪番制で順次これを担当するようになっていた。

ところが、被告は、昭和四八年二月一日、地教行法二三条、三三条の規定に基づき、福岡県立学校管理規則を改正して職員会議に関する規定を新設し、その一六条一項で「校長は、校務運営に関し必要と認める事項を諮問するため、所属職員をもって構成する会議(以下「職員会議」という。)を置くものとする。」とし、同条三項で「校長は、職員会議を招集し、これを主宰する。」、同条四項で「前三項に規定するもののほか、職員会議の組織及び運営について必要な事項は、校長が定める。」と規定した。そして、これと同時に校務分掌については、従前からの「校長は校務分掌組織及びその分掌を定め、毎年四月末日までに教育委員会に報告しなければならない。」(改正前一二条、改正後一七条)との規定に基づき、「校務運営の適正化について」と題する通達を発して、校長がその判断と責任において校務分掌を決定すべきである旨示達した。

これを一つの契機として、久留米高校では、校務分掌特に総務、教務並びに生徒各部の部長及び副部長の選任をめぐって、被告の方針に則り選挙を排して校長の任命のみにより選出しようとする当時の高野幸雄校長(以下「高野前校長」という。)とあくまで全職員の選挙によるべしとする分会との間で対立を生じ、その結果、昭和四八年度は、校長の任命による各部長、副部長と選挙による各部長、副部長とが併存し、それぞれ独自に活動するという異常な事態となった。なお、高野前校長は、総務部長の名称につき、それが教頭の職務との関係で紛らわしいとして総務部を庶務部と改称したが、分会側は依然総務部の呼称を維持していた。昭和四九年度における各部長等の選任についても、前記二系統の選任手続が併存したままで、対立はなお解けていなかったが、双方の事前接衝が効を奏して、分会側は全職員による選挙でなく各部内でそれぞれ部長及び副部長として推薦した者を任命してもらえれば足りるとし、右被推薦者と高野前校長が任命した者とが生徒部長の人選を除いて結果的に一致することとなった。ただ、生徒部長については、生徒部での互選の結果西田優教諭が選任されたが、高野前校長は、同教諭を生徒部長とは認めず、古賀辰巳教諭を同部長に任命(右任命の結果は、昭和四九年三月二二日ころ事務長により告示として職員室に掲示された。)したため、生徒部長が併存するという変則な事態となった。

(二)  他方、いわゆる必修クラブ活動については、昭和四五年一〇月に文部省によって告示された改正高等学校学習指導要領に基づき、昭和四八年四月一日以降高等学校の第一学年に入学した生徒から順次実施されることになっていたところ、久留米高校においては、分会が高教組の指示に基づいて実施反対の方針を決めたため、高野前校長は、クラブ活動検討委員会を設置して実施の検討を求め、職員会議にも諮るなどした上、新一年生に対してアンケート調査を行ったり、クラブ指導教諭一五名を任命してこれらの者にクラブ活動を実施するよう職務命令を出すなどして、同年九月二二日に漸く第一回目のクラブ活動実施に漕ぎつけた。

(三)  かような状況の下で、高野前校長は昭和四九年四月二日付をもって久留米高校を退職し、同月三日に藤島校長がその後任として任命されるに至った。

(四)  分会は、藤島校長が高教組による校長としての推薦を受けていなかったため、同校長の任命及び着任予定日を知るや、直ちに分会会議等を開催した上、高教組の指示に基づいて、同校長に対するいわゆる着任拒否闘争を行うことを決定し、その具体的方策として、〈1〉同席拒否(同校長に対して着任団交を行い、職員会議が最高議決機関であること等を同校長に認めさせ、かつ、これに反した行動をとった場合には自ら降任する旨の確約書等を同校長から徴するまでは、朝礼、職員会議等への同校長の同席を認めない。)、〈2〉個別接触の排除(分会員は、一人では同校長に会わない。)、〈3〉辞任要求という三つの行動をとること、更に着任予定日の昭和四九年四月五日には久留米高校の正門前でピケを張って同校長の着任を拒否すること等を決めた。

なお、分会は、同年四月一日に新たに久留米高校の教頭に任命された秋吉教頭に対しては、同じく着任拒否の対象とするが、基本的には同人を無視し、選挙で選んだ総務部長を中心に校務を運営していく方針を樹てた。

(五)  分会は、前記方針に従い、同年四月五日(金)(以下曜日をこの表示で示す。)藤島校長の着任を拒否すべく午前七時三〇分ころから正門前に原告を含む約三〇名の分会員及び二〇名を越える高教組久留米支部所属の他の分会員らを集めてピケを張り、同八時三〇分ころ登校してきた同校長及び秋吉教頭に対し、口々に降任を迫り、「帰れ」と叫んだりしながら、その周りを取り巻いたりその前面に立ちはだかるなどして、一時間以上にわたってその入門を阻止した。そのため、藤島校長らは、一時入門をあきらめ、高野前校長からの校務分掌等を含めた事務引継を校外で受けざるを得ない羽目となり、同日午後三時ころに至って漸く入門できる有様であった。

(六)  分会は、翌四月六日(土)も、午前八時ころから原告を含む分会員ら約四〇名を集めて正門前でピケを張り、登校してきた藤島校長らに対し、前日同様その前面に立ちはだかるなどして妨害したため、同校長らは約四〇分間にわたって入門を阻止され、午前九時一〇分すぎに至ってようやく入門するという状況であった。

(七)  久留米高校における当時の授業開始時刻は、午前九時五分であり、同八時五〇分から同九時までは各クラスにおいて各担任教諭出席のもとにショートホームルームが開かれていた。そして、その前である同八時三〇分から、毎朝職員室において、校長、各部及び各学年等からの伝達等を行うための全職員による朝礼が慣例として開催され、右伝達が終了した後、各学年ごとの学年会に移行するようになっていた。また、定例の職員会議は、毎週月曜日の午後に会議室において開催されるのが慣例であった。

(1) 同年四月八日(月)以降、藤島校長は、分会員から何らの妨害も受けることなく登校できるようになったが、朝礼への出席に関しては、同月二七日までの間、原告を含む分会役員ら数名が毎日のように校長室に押しかけた上、同校長を取り囲んだりその前面に立ちふさがるなどして、朝礼への出席を妨害するようになった。また同月八日は、久留米高校の始業式及び入学式が予定されていたところ、同校長は、朝礼には何とか出席できたものの、分会が着任拒否闘争の一環として同校長を始業式に出席させない方針を決めており、これに基づいて原告を含む分会役員ら約一〇名が校長室及びその付近で同校長を取り囲み、会場に向かおうとする同校長に対して「抱え出そうか」などと申し向けたり、始業式に出ないよう執拗な要求を繰り返し、その前進を阻んだため、その間に始業式は終わってしまい、結局同校長は始業式に出席することができなかった。

(2) 藤島校長は、昭和四九年四月九日及び一〇日の両日も分会員による妨害を受け乍ら、辛うじて朝礼に出席したが、右九日の朝礼において、秋吉教頭が同校長の指示により司会をしようとしたところ、朝礼の司会は総務部長がするのが慣例であるとして田島庶務(総務)部長が同時に司会を始め、同校長の制止をも無視して、分会員の支援の下に司会を強行しようとしたため、朝礼が混乱する一幕があった。朝礼において司会者が二人出現するというこのような異常事態は、同年一一月九日まで継続した(なお田島部長は、同日被告に呼び出され、その説得に応じて翌日からは朝礼の司会をしなくなった。)

同月一一日は、日本教職員組合の指示による全日ストライキが実施されたため、藤島校長は朝礼への出席について何らの妨害も受けていない。

2  本件処分理由について

(一)  抗弁1の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、(人証判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告は、藤島校長に対する着任拒否闘争の一環として、昭和四九年四月一二日(金)は午前八時二五分ころから、同月一五日(月)は午前八時二〇分ころから、同月一七日(水)は午前八時一五分ころから、同月一八日(木)は午前八時二〇分ころから、同月二〇日(土)は午前八時二〇分ころから、同月二二日(月)は午前八時二〇分ころから、いずれも同校長の朝礼への出席を阻止する目的で、分会役員ら四、五名もしくは二〇数名とともに無断で校長室に入り込み、朝礼に出席しようとする同校長に対し「教育問題について話がある。」「まだ校長として認めていない。」「朝礼に出るな。」などと言いながら同校長を取り囲んだりその前面に立ちはだかるなどして、朝礼への出席阻止を執拗かつ強引に繰り返し、更に、右妨害を排して朝礼のため職員室に向かおうとする同校長に対し、他の分会員らとともに、その途中の廊下及び職員室入口付近において、同校長を取り囲んだりその前面に立ちはだかるなどして、その前進を阻んで朝礼への出席を妨害し、その結果、同月一二日、同月一五日、同月一七日及び同月二〇日の四回にわたり同校長の朝礼への出席を不可能ならしめてその職務の執行を妨害した。尤も、同月一八日及び同月二二日の両日は、分会による妨害はあったものの、教頭や事務長の助けを藉り、時間に遅れながらもかろうじて朝礼に出席することを得、また、同月一三日(土)は分会による半日ストライキが実施されたため、同月一六日(火)は交通ストにより分会員らの登校が遅れたことや藤島校長が早目に職員室へ入っていたこともあって、いずれも朝礼への出席につき妨害を受けることはなかった。

(二)  抗弁2の事実について

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。

昭和四九年四月二二日(月)午後、藤島校長が会議室で開催中の職員会議に出席すべく校長室を出ようとしたところ、分会役員ら三名が右会議に出ないよう足止めにして執拗な説得を始め、更に会議室入口附近でも原告や他の分会員の妨害を受けたため、同校長は、午後五時三〇分ころに至って漸く入室することができた。藤島校長が入室した時点においては、議長である音成教諭の議事進行の下に古賀教諭(生徒副部長)が生徒補導の件で報告中であったが、同校長の入室後間もなく同校長と原告を始めとする分会役員らとの間で西田優教諭の生徒部長としての資格問題や職員会議の決議の性格等をめぐって言い争いとなり、会議が紛糾するに至った。そして、午後六時三〇分ころには、右西田教諭を始めとする分会員が三三五五と退席を始めたが、そのころ原告は黒板に板書してあった「職員会議」の文字及び議題を消した上、「分会会議」と板書する挙に出た。結局当日の職員会議は退席者が半数を超えたため、補導問題についての審議未了のまま閉会のやむなきに至った(なお、当日職員会議後に予定されていた分会会議は、会議室では行われず、職員室に場所を変えて行われている。)。

この点に関し、原告は、その本人尋問において原告が「職員会議」の文字等を消して「分会会議」と板書したのは、西田教諭らの退席前に提出された流会の動議が賛成多数により採択され、音成議長の流会宣言がなされた後のことであるから、原告の右行為は会議の進行妨害にはならない旨供述し、(人証略)の証言中にはこれに副う供述部分もあるが、これらは前記認定に供した各証拠に照らしてた易く信用することはできず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

そして前記認定事実によれば、原告の行為は、分会員退席の事実と相俟って職員会議の進行妨害に当たるというべきである。

(三)  抗弁3の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができる。

昭和四九年四月二六日午前八時三〇分ころ、原告は、朝礼に出席するため秋吉教頭や事務長の助けを藉りて校長室から職員室へ向かおうとする藤島校長を阻止するため、分会役員ら五、六名とともに「帰れ」「通さん」などと怒号し、同校長を取り囲んだり、その前面に立ち塞るなどしてその進路を妨害し乍ら、数学科教官室前付近にさしかかった時、相対峙していた同校長の面前で突如転倒した。そして、直ちに起き上がるや同校長を追いかけ、職員室入口付近廊下において再びその行く手に立ちふさがり、又もやその面前で転倒した(その際原告は、付近にいた森山教諭に対し、「森山先生が暴力を振るった。」と叫んでいる。)。

原告は、再び素早く起き上がるや職員室内に入った藤島校長の跡を追い、同室入口左側の流し台付近で三たび同校長の前面に立ち、その場で転倒した。なお、その直後藤島校長は朝礼を開始すべく所定の位置に向かい、原告も同室内の机と机の間を通って自席へ向かったが、途中椅子に掛けていた津村教諭の後方を通過する際またも転倒し、同教諭との間で足をかけた、かけないと口論になっている。

因みに、同日の朝礼では、原告の四回に及ぶ転倒については何ら話題に昇ることはなく、原告から藤島校長や津村教諭に対して他に特段の抗議もなされていない。

右認定の事実と、前記1及び2の(一)、(二)で認定した経緯並びに次の2の(四)で認定の事実を総合すると、原告は、藤島校長の朝礼への出席を妨害するため、意図的に同校長の面前で転倒したものと推認するのが相当である。

原告は、その本人尋問において、藤島校長の面前での三回に及ぶ転倒はいずれも同校長が原告に向って突進し、衝突したことが原因である旨及び四回目は津村教諭に足をかけられたためである旨供述するが、上記認定に供した各証拠に照らしてた易く信用することはできず、他に右推認を左右するに至る証拠はない。

(四)  抗弁4の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、昭和四九年四月二七日午前八時二五分ころ、朝礼に出席するため校長室から職員室へ向かおうとする藤島校長を阻止すべく、分会役員ら七、八名とともに校舎正面玄関奥の飾り棚付近で同校長を取り囲み、更に秋吉教頭や事務長の助けを借りて同人らとともにその場を切り抜け、職員室へ向う同校長の跡を追い、事務室と英語教員室の中間付近で同校長に追いつくや、前面に立ちふさがり、その場で転倒し、その後直ちに起き上がってなおも同校長の跡を追い、数学教員室前付近で再び同校長の前面に立ち、またもや転倒した(その際、付近にいた分会長吉武教諭は、原告に対し、「あまりひょうぐれんがよかばい。」と原告をたしなめる発言をしている。)。

(2) その後分会員、非組合員ら約一〇数名がひしめき合っている職員室の入口に到達した藤島校長が、土肥事務長の助けを藉りて入室したところ、同校長の正面にいた原告は入口付近で後ろ向きに倒れ、後方にあった木製の出席簿立てに後頭部を打ちつけて失神し(その際、吉武分会長は、付近にいた山口教諭を指して「お前が押した。」と叫ぶなどしている。)、保健室に運ばれた後救急車で聖マリア病院へ搬送されて手当てを受けたが、同病院での診断によると、全治五日を要する後頭部打撲、左背部打撲ということであった(なお原告は、同日横尾医院に入院し、同年五月一三日ころまで病気休暇をとった。)。

(3) 右(1)(2)の転倒のうち、(1)の二回に亘る転倒についてはとりたてて問題にされることはなかったが、(2)の転倒については、当日の朝礼で藤島校長が暴力を振るったとして分会員らによる抗議が行われ、その後もこの件に関して同校長との間で分会交渉が行われている。

(4) この点に関し、原告は、その本人尋問において、前記(1)の転倒は藤島校長に体当たりされたものであり(但し、二回目については自らすべって転んだという言い方もしている。)、前記(2)の転倒は同校長が右腕で力まかせに原告の胸を突いたことに因る旨供述し、証人吉武哲夫の証言中これに副う部分もあるが、然し、これらは前記(1)(2)の認定事実及びこれに供した各証拠に照らしてた易く信用することができず、他に前記認定を覆えすに足りる証拠はない。

(5) 以上の事実とさきに1及び2の(一)(二)で認定した経緯、同(三)で認定の事実を併せ考えると、前記(1)(2)の転倒が藤島校長の有形力の行使に因って惹起したものとは到底認められず、また前記(2)の転倒は免も角、前記(1)の二回に亘る転倒は、同校長の進路妨害のため、原告自ら故意に転倒したものであると認めるのが相当である。

(五)  抗弁5の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和四九年五月二八日午前八時三〇分ころから開催された朝礼において、原告が藤島校長に対して、同年四月二七日の受傷に対する治療費の支払を求めたため朝礼は冒頭から紛糾したが、その際、他の職員が全員着席しているにもかかわらず、藤島校長のそばに近づき「暴力校長」などといやがらせを言い、同校長が席を立って移動すると更にその後を執拗についてまわり、また、秋吉教頭がいわゆる必修クラブについて説明を始め、荒木分会書記長らがこれに抗議した際にも、原告は、大声で「聞こえん」などと叫んで同教頭の説明を妨害し、朝礼を混乱に陥入れた。そのほか原告は同年五月二八日の朝礼前、同年四月一六日以降職員室廊下側の柱に貼付されていた「庶務部長を田島清司に、教務部長を西田豊に、生徒部長を古賀辰巳に、病気療養中の古賀部長の代行を小島副部長に各命ずる」旨並びに「朝礼の司会を教頭に命ずる」旨の校務分掌に関する藤島校長名の告示の上に、それが見えないように重ねて同和教育に関するポスターを貼り、これに気付いた同校長が、朝礼がほぼ終了して引き続き同室で各学年ごとの学年会に移行する際、右ポスターをはがしたところ、原告は、同校長に対し、「紙ドロボウ」と叫んで学年会を混乱させた。

(六)  抗弁6の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和四九年六月一五日午前八時三〇分ころから職員室で開催された朝礼において、校務運営委員会の議長太田教諭が前日開かれた同委員会の報告をしようとし、これを遮切って藤島校長が「右報告は秋吉教頭に命ずる。」旨発言したところ、吉武分会長らが同校長に抗議して朝礼が混乱し始めたが、原告は午前八時四〇分ころ、右朝礼の席上突如放歌(「インターナショナル」と「緑の山河」)し、朝礼を一層混乱に陥入れた。

(七)  抗弁7の事実について

昭和四九年一一月二七日校長室でクラブ活動企画運営委員会が開催されたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和四九年一一月二七日午後四時二〇分ころから校長室において、いわゆる必修クラブ活動の企画立案及び実行面を扱うクラブ活動企画運営委員会の会議開催中、同委員会の委員でもない吉武分会長ら三名が傍聴と称して無断で校長室に入り込み、藤島校長の退室命令にも応じず、却って同校長に対し、傍聴を認めるよう強硬に迫り、更に、同校長がメモをとっていることに対して抗議したり、同月二三日の祭日に同委員会が招集されたことについて、勤務時間外の開催に当ると称して執拗に議論をしかけ、同委員会の議事進行を妨害し、その後も荒木分会書記長や午後五時すぎには西田優教諭も無断で入室した上「勤務時間を守れ。」などと言って会議の進行を妨害していたところ、原告は、午後五時三〇分ころ、同委員会の委員でもないのに無断で校長室に入り込み、「まだやっているのか。」などと言いながら藤島校長がとっていたメモをのぞき込み、その内容を読み上げた上で、更に同校長に対し、「また教育庁に報告するつもりか。」などと言って同委員会の議事進行を妨害した。そのため、同委員会は、午後五時五〇分ころ閉会のやむなきに至った。

(八)  抗弁8の事実について

昭和四九年一二月一一日校長室でクラブ活動企画運営委員会が開催されたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実、(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和四九年一二月一一日午後三時三五分ころから校長室においてクラブ活動企画運営委員会の会議開催中、同委員会委員でない荒木分会書記長他一名が傍聴と称して無断で同室に入り込み、藤島校長の退去命令にも応じようとせず、会議の円滑な進行がはかれなかったため、藤島校長は、当時在室していた同委員以外の分会員四名に対し、右荒木書記長らの要請どおり、文書による退去命令を発するなどして午後四時四五分ころに至り、ようやく実質審議に入ることが可能になった。ところが原告は、午後五時すぎころ、同委員でもないのに校長室に無断で入り込み、「勤務時間を守れ」「いつまで会議をするのか。」などと発言した後、いったんはすぐ退室したものの、再び午後五時四五分ころ、吉武分会長らとともに入室し、「勤務時間をすぎても組合員を拘束するつもりか。」と藤島校長に鋭く迫り、会議の進行を妨害した。

(九)  抗弁9の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告による従前の校務運営妨害等の事実につき、事情聴取のため原告を教育庁指導第一課に出頭させるよう被告から指示を受けていた藤島校長が、その旨の職務命令を発すべく、昭和四九年一二月二一日午後三時三〇分ころ、原告を校長室に呼び出した上、同月二三日又は二四日に前記指導第一課長のもとへ出頭するよう命じたところ、荒木分会書記長を伴って校長室に出頭した原告は、右職務命令に対して「聞こえん」「知らん」と反抗的態度をとり、そのうえ、同道した荒木分会書記長も勤務時間外の職務命令であるとの抗議を行ったため、同校長はいったん右職務命令を撤回し、改めて勤務時間内に職務命令を発することとし、同月二三日(月)の勤務時間中校長自ら又は秋吉教頭を介し、職員室、運動場、廊下等で、原告に対して同月二三日から二五日までの間に前記指導第一課長のもとへ出頭するよう申し渡したが、原告は「聞こえん」「知らん」などと言い、あるいは文書による職務命令を要求するなどして容易にこれに応ずる態度を示さなかった。藤島校長は、同月二四日にも直接又は秋吉教頭を介して前同様の職務命令を発したが、原告は依然「知らん」「忙しい」の一点張りでこれに応じず結局指導第一課へ出頭するに至らなかった。

(一〇)  抗弁10の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

久留米高校においては、必修クラブ活動は昭和四八年九月に初めて第一学年につき実施され、その後もある程度は実施されたものの、分会の強力な反対や生徒会執行部による問題提起(五項目要求)等の抵抗に遭い、その円滑な実施が阻まれ、高等学校学習指導要領で方向づけられた昭和五〇年度からの全学年一斉実施に向けての準備が大幅に立ち遅れていた。そして、昭和四九年度に第一、第二学年の必修クラブのための時間として割の当てられていた土曜日の第四時限目には、相当数の生徒が右クラブ活動に参加せず、帰宅したりする状況が続いていた。

そこで藤島校長は、右全学年一斉実施に向けてのクラブ希望調査を確実に行うため、昭和五〇年一月一四日のクラブ活動企画運営委員会において、必修クラブ活動に当てられていた同月一八日(土)の四時限目を一時限目に繰り上げ、他の授業を一時限ずつ繰り下げる旨の授業計画変更を決め、同月一六月、右変更を朝礼の席で同委員会委員長西田豊教諭を介して全職員に伝達するとともに、同日付で第一、第二学年の各クラス担任一八名に対し、同月一八日の午前八時五〇分から同九時五五分までの間に、担任の生徒達に生徒会からの五項目要求に対する回答をし、必修クラブ活動について説明した上でクラブの希望調査を実施し、その調査票を回収して同日正午までに右西田委員長まで提出すべき旨の職務命令を発し、更に生徒達に対しても、同月一七日各クラス担任を通じて、右授業計画変更及びクラブ希望調査の実施予定が伝達された。そこで生徒会執行部は、同月一八日の一時限目に必修クラブ活動について学校側からの説明を受けるための一、二年の学年集会開催を企図し「強硬される全クラ」と題するビラを印刷、配布して講堂への集合を呼びかけようとしていた。右時間割の変更は、同月一七日、一八日の朝礼においても職員に伝達されたが、同月一八日の朝礼では、荒木分会書記長が当日の時間割変更には応じない旨の発言をし、次いで原告が「午前九時から生徒会執行部にクラブ活動問題で放送をさせます。」と発言した。原告は、当時生徒部生徒係であり、生徒会執行委員との間で同日の朝放送させることを約束していたこともあって、右発言に及んだものであるが、藤島校長は、分会や生徒会執行部の必修クラブ活動に対する従前の対応及び当日の荒木分会書記長及び原告の発言内容等から推測して、原告の右発言はクラブ希望調査に反対して生徒総会招集を予定したものであると判断し、放送禁止を命じたところ、原告は、「どんな妨害があっても放送させる。」と強硬に主張したため、同校長は右判断をますます深めた。

そこで藤島校長は、放送を阻止すべくマイク調整室に赴いたところ、放送準備中の生徒会役員二名を認め、これを制止しようとして、その場に来合わせていた原告及び右生徒との間で口論になった。その際既にマイクのスイッチが入っているのに気がつかなかった藤島校長は、原告がスイッチを切ったのをスイッチを入れたものと勘違いし、右口論が放送に流れるのを防止すべく再び同スイッチを操作したため、右口論の一部が校内に放送される羽目となった。

その後、荒木分会書記長が時間割変更を拒否して変更前の授業を強行しようとしたため、その担任の三年二組の授業が混乱したことや、二年一組及び二年八組の生徒が必修クラブについての担任教師の説明に満足せず、各代議員らが校長室に押しかけたことに端を発し、右二クラスの生徒会役員を中心とする多数の生徒達が分会に所属する原告ら数名の教諭とともに校長室に押しかけ、藤島校長に対し、直ちに生徒総会を開いて、必修クラブの希望調査を強行しようとしたことなどについて、校長自ら釈明に当たるよう強硬に求め、更にその後、生徒会役員が校長室に集まるよう放送したこともあって、同室に集まった生徒数は最終的には約二〇〇名を超えるに至った。この間、原告や生徒に同道していた他の分会員の中には、生徒に対して教室に戻って授業を受けるよう説得したり、集団行動による校長の執務妨害を制止しようとする者は一人もいなかった。その結果、藤島校長により緊急の職員会議が招集され、同日の四時限目に講堂で必修クラブ説明のための生徒集会を開くこととなり、希望調査は一部しか実施されるに至らなかった。

(一一)  抗弁11の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、右認定に反する原告本人尋問の結果は右認定に供した各証拠に照らした易く信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年一月二八日午後四時二〇分ころから会議室で開催された職員会議において、議事進行を校長が行うか輪番制に基づき吉武教諭が行うかをめぐって紛糾した後、同校長が昭和五〇年度の人事異動について説明を始めたところ原告は、「見せてよかろうもん。」などと言いながら同校長が持っていた説明資料を奪い取り、更に、午後四時四〇分ころ、一旦他の分会員らとともに職員会議の途中で退席し、間もなく再入室するや「やめろやめろ」「組織妨害だ」などと大声でわめいたり、携帯した釣竿様の棒で床や机をたたくなどして、会議の進行を妨害した。

(一二)  抗弁12の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、右認定に反する原告本人尋問の結果は、右認定に供した各証拠に照らした易く信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年三月一〇日午後二時三〇分ころから、会議室で開催された職員会議において、校務分掌についての議題と二日後に迫った久留米高校の入学試験に関する議題の審議順序をめぐって会議が紛糾中、午後四時ころ、秋吉教頭が前日配布済みの資料に基づき、入学者選抜のための学力検査実施要領に関する当日の職務分担等について説明を開始したところ、原告は、矢庭に同教頭から右説明資料を取り上げて床に投げ捨て、同教頭が散乱した右資料を拾い集めようとすると、これを足で踏みつけるなどして妨害し、更にやっと拾集を了えた同教頭が説明を継続しようとするや、又もや右説明資料を奪おうとするなどして、会議の進行を妨害した。そのため、会場は騒然となり、結局会議は混乱のうちに閉会のやむなきに至った。

(一三)  抗弁13の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、右認定に反する原告本人尋問の結果は、右認定に供した各証拠に照らした易く信用することはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年五月七日午前八時三〇分ころから職員室において朝礼を開催中、各部長らからの伝達が終り、各学年ごとの学年会に移行する際、分会長吉田隆治教諭が数回に亘り同日午後に分会会議を行う旨の連絡を繰り返し、藤島校長がこれを制止したところ、原告は、同校長の前に進み出てその前面に立ちふさがり、「何だお前は」と言いながら、左手を同校長の背中に廻し、右手の平を同校長の口辺に強く押し付けるようにして、その口を塞いで発言を封じ、その後も同校長が発言しようとするたびに、前同様の方法でその発言を阻止した。

(一四)  抗弁14(一)の事実について

原告が氏名欄に「藤島ブ男」「藤島精神病」「藤島変態」「藤島すけこまし」などと、希望クラブ欄に「花札クラブ」「マージャンクラブ」「変態クラブ」などとそれぞれ記入してある希望調査票を提出したことは、当事者間に争いがないところ、右争いのない事実と(証拠略)を総合すれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

藤島校長は、必修クラブ活動の早期実施のため、昭和五〇年六月一四日(土)の朝礼において、各クラス担任に対し、クラブ活動希望調査を実施するよう文書で職務命令を発したが、その内容は、同日第四時限目にクラブ活動希望調査票を各生徒に配布し、希望を記入させた上でこれを確実に回収して、同日午後一時までに太田クラブ活動企画運営委員長の許に提出するようにという趣旨のものであった。当時三年三組のクラス担任であった原告は、他のクラス担任とともに、第四時限目に右調査票を生徒に配布して説明をし、提出を求めたが、原告担任のクラスでは四五名中三二名が提出し、残る一三名は調査票を提出しなかった。そのうえ提出済みの調査票の中には、真面目な記入のなされているものは、僅か五通しかなく、他は、氏名欄に「藤島変態」「藤島ブ男」「藤島すけこまし」「ルイ16世」などと侮辱にわたるふざけた記載がしてあるか、あるいは全く空欄のままであったり、また、希望クラブ欄にも「変態クラブ」「マージャンクラブ」「精神病クラブ」などといった極めて穏当を欠くクラブ名あるいは選択肢にないクラブ名を記載したり、又は空欄のままというものであった。しかるに、原告は生徒を指導して適切に記入し直させるなどの措置を全くとろうとせず、生徒の氏名確認さえしないまま調査票を太田委員長に提出した。

因みに、他の多くのクラスでは、調査票の回収が順調に行われ、しかもその中味についても原告担任のクラスのように不真面目な記載や問題のある記載のものは見当らなかった。

(一五)  抗弁14(二)の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年六月一六日(月)、朝礼において、太田クラブ活動企画運営委員長から全職員に対し、前々日に実施した希望調査票の未提出分を早期に提出するよう、また、内容不備のものについては改めて提出し直すよう指示がなされ、原告に対しては再度調査票が交付された。そして、同月一八日及び一九日の両日にも、朝礼の席で太田委員長から同じ指示が繰返し行われたが、原告は、その後、二、三人分の調査票を追加提出したにとどまり、不備記載分についての調査票の再提出は全く行われなかった。

(一六)  抗弁14(三)の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

藤島校長は、昭和五〇年六月二〇日午前八時四〇分ころ、原告に対し、太田教諭を介して、希望調査票の件で校長室に来るよう指示したところ、原告は、同八時五〇分ころ、同校長に電話を掛け、「藤島先生かね、岸だがね、今忙しい。用件があったらそちらから来い。」と返答した。そこで、藤島校長は、午前九時五〇分ころ、秋吉教頭を伴って歴史教官室に原告を訪ね、未提出分の希望調査票の提出と内容不備の調査票につき正しく記入し直したものを再提出するよう求めた。ところが原告は、自主講座に参加した生徒達の答案採点を口実に「今忙しい。」などと言って、同校長の右要請に応じようとせず、反抗的な態度に終始した。

(一七)  抗弁14(四)の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は右認定に供した証拠と対比して容易に措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和五〇年六月二四日午前一〇時ころ、藤島校長は職員室において、被告への提出資料として原告担当クラスのふざけた内容の希望調査票をコピーしていたところ、たまたま資料コピーのため職員室に戻って来た原告から教材のコピーを先にさせるよう強要され、やむなくコピーを中断していったん校長室に戻ったが、直ぐに調査票の原本四枚を職員室に置き忘れて来たことに気付いて再び同室に戻り、原告に返却方を求めた。ところが原告は、同校長の置き忘れた四枚の調査票を所持していることは認めたものの、「これで生徒を処分するんだろう。県教委に報告するのか。」などと言ってその返還を拒否した。

3  次に、原告の経歴、社会環境等についてみるに、(証拠略)、原告本人尋問の結果によれば、次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

原告は、昭和二二年七月一九日生で、高校教諭を父に持つ家庭環境の下で育ったこともあって、幼い頃から教師に憧れていた。高知大学で西洋史を専攻し、卒業後初志を貫いて教職への道を選び、昭和四六年四月一日付で福岡県公立学校教員に任命され、久留米高校教諭として補職された。原告は、社会科担当として、着任の年は日本史を担当し、昭和四七年からは専門の世界史を担当することとなったが、その授業に用いる教材について工夫するなどして、生徒に歴史への興味を持たせるよう努力し、正規の授業の他にも、世界史の自主講座を開設したり、課外には生徒と一緒に校外へ出て郷土史を勉強したりしていた。

一方、原告の久留米高校における校務分掌及び事務分掌上の役割についてみると、原告は、昭和四六年度には生徒部生徒会係及び三年八組副担任に、昭和四七年度には教務部図書館係及び一年四組担任、昭和四八年度には教務部図書館係及び二年一組担任、昭和四九年度には生徒部生徒会係及び三年二組副担任に、昭和五〇年度には生徒部文化係及び三年三組担任にそれぞれ割り当てられ、クラブ活動に関しては、最初の四年間はバスケット部顧問を、昭和五〇年度は野球部顧問をそれぞれ担当し、他に同好会の指導もしたりして熱心に取り組んでいた。また、組合活動の面では、原告は、昭和四七年四月から昭和四九年三月までの間と、昭和五〇年四月以降いずれも分会執行委員の、昭和四九年四月から昭和五〇年三月まで、高教組久留米支部執行委員の各地位にあった。なお、原告は、この間、昭和四八年八月二八日及び昭和五〇年二月一〇日の二度にわたって被告からスト参加を理由として戒告処分に付されている(右二度の戒告処分の事実自体については、原告もこれを明らかに争っていない。)。

4  そこで、本件処分の適否について検討する。

地方公務員法二八条に基づく分限処分は、任命権者の純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、公務の能率の維持及びその適正な運営の確保の目的から同条に定めるような処分権限を任命権者に認めるとともに、他方、公務員の身分保障の見地から、その処分権限を発動しうる場合を限定したものである。分限制度の右のような趣旨・目的に照らし、かつ、同条に掲げる処分事由が被処分者の行動、態度、性格、状態等に関する一定の評価を内容として定められていることを考慮するときは、同条に基づく分限処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、もとよりその純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、分限制度の上記目的と関係のない目的や動機に基づいて分限処分をすることが許されないのはもちろん、処分事由の有無の判断についても恣意にわたることを許されず、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断された場合、あるいは、その判断が合理性をもつものとして許容される限度を超えた場合には、裁量権の行使を誤ったものとして違法となるというべきであるが、任命権者の分限処分が、このような違法性を有するかどうかについての裁判所の審査権は、その範囲に限られ、このような違法の程度に至らない判断の当不当には及ばないといわなければならない。これを同法二八条一項三号所定の処分事由についてみるに、同号にいう「その職に必要な適格性を欠く場合」とは、当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合をいうものと解すべきである(最高裁判所昭和四八年九月一四日第二小法廷判決・民集二七巻八号九二五頁参照)。なお、この意味における適格性の有無は、当該職員の外部に現われた行動、態度に徴してこれを判断するほかはないが、その場合、個々の行為、態度につき、その性質、態様、背景、状況等の諸般の事情に照らして評価すべきことはもちろん、それら一連の行動、態度については、相互に有機的に関連づけてこれを評価すべく、更に当該職員の経歴や性格、社会環境等の一般的要素をも考慮する必要があり、これら諸般の要素を総合的に検討したうえ、当該職に要求される一般的な適格性の要件との関連において、これを判断するのが相当である。

これを本件についてみるに、上記認定によると、原告は他の分会員らとともに、集団の力を恃んで藤島校長の朝礼への出席妨害、同校長の主宰する各種会議の進行妨害等を執拗に繰り返して、正常な校務の運営を阻害した許りでなく、右各妨害に際し、自ら幾度となく故意に同校長の面前で転倒しては、これを同校長や他の教諭の暴力によるものと強弁し、あるいは会議の席上突如「インターナショナル」等を放歌したり、所携の棒で机や床を叩いたりして、会議の混乱を助長し、あるいは発言中の同校長の口を手で塞いだり、説明中の秋吉教頭から説明資料を奪取して、これを床上に投げ捨てたうえ足で踏みつけるなど、著しく常軌を逸した行動が多く、更には必修クラブの希望調査に関し、担任の級の生徒がこれに反抗して調査票を白紙の儘提出し、又は「藤島変態」「藤島すけこまし」とか「花札クラブ」「変態クラブ」等侮辱に亘る極めて不謹慎な記載をしているのを知り乍らこれを黙認し、また生徒会役員他多数の生徒達が、右希望調査に抗議して校長室に押しかけ、校長の執務を妨害した際にも、同道してこれを現認し乍ら、何ら制止することなく放置するなど、およそ生徒を指導育成する立場に在る教師として、あるまじき態度に終始し、そのほかにも、上司である同校長らの職務上の指示、命令に対して屡々侮辱的言辞を弄したり、反抗的態度を示して、これに従おうとしないなど、公務員としての組織秩序遵守の精神に欠如している面が強く窺われる。

そしてこれら原告の一連の言動は、単にその場限りの偶発的言動とは到底認め難く、本件以前にも争議行為参加を理由に二度にわたり戒告処分を受けた経歴のあることを併せ考えると、寧ろそれは原告の性格、素質ないし日常的な行動様式に基因するものであって、しかもそれは容易に矯正し難い持続性を有するものと認めるのが相当である。因みに、原告のこのような言動が、多感で模倣性の強い年代である高校生に対して、教育上甚だ好ましからぬ影響を及ぼす虞れのあることは、論を俟たない。

叙上明らかなとおり、原告には、その容易に矯正することのできない持続性を有する素質、性格等に基因して教育公務員としての職務の円滑な遂行をする上に支障があり、又は支障を生ずる高度の蓋然性があると認められるから、地方公務員法二八条一項三号所定の「その職に必要な適格性を欠く場合」に該当する事由があり、且つ、その言動は上記認定の諸般の事情に照らし、免職に値いするというべきである。

なる程原告には、教材の創意工夫、自主講座の開設、郷土史の課外授業のほか、クラブ活動にも積極的に参加するなど、一面生徒に対する教育活動に真摯に取り組む姿勢のあったことが窺われなくはないが(原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる〈証拠略〉によれば、原告は本件処分時の担当クラスの生徒から慕われ、右生徒から原告を処分しないよう要望する旨の嘆願書が提出されていることが認められる)、然しこれらの事情も未だ原告について免職に値いする分限事由が存するとの前記判断を左右するには至らない。

三  本件処分が地公法五六条に違反する旨の原告の主張(再抗弁)について検討するに、前記二の1、2で認定した事実によれば、原告は、その所属する高教組の久留米支部執行委員や分会執行委員として熱心に組合活動をし、本件におけるその行動も基本的には高教組ないし分会の方針に基づいてなされた面の存することは否定できないが、然し、前記認定に現われた原告の個々の言動は著しく常軌を逸しており、到底、職員団体のための正当な行為とは目し難く、他に本件処分が地公法五六条に違背する処分であることを認めるに至る証拠は全く存しない。

従って、原告の右主張は採用できない。

四  よって、本件処分には何ら違法な点はなく、同処分の取消しを求める原告の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤浦照生 裁判官草野芳郎は、転任のため、裁判官奥田正昭は長期海外出張のため署名、捺印することができない。裁判長裁判官 藤浦照生)

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